大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和28年(行)2号 判決 1955年6月17日

原告 石崎清茂

被告 厚生大臣

訴訟代理人 豊水道祐 外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、請求の趣旨及び原因

原告訴訟代理人は「被告が昭和二十八年一月六日原告に対する医師免許(昭和二十二年五月五日付免許第二一〇六九六号)を取消した処分(厚生省医務局長名義で昭和二十八年一月六日付厚生省発医第二号を以て通知された)はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、原告は昭和十四年(康徳六年)満州国において満州国医師考試に合格し、同年十一月五目付医師名簿登録番号第五五五七号(後昭和十八年(康徳十年)十二月三十一日誤記発見によつて医師名簿第九九九七号と訂正せられた)を以て地域並びに期間を制限されない医師免許を受けていたので国民医療法施行令特例(昭和二十二年勅令第十九号による改正後の昭和二十一年勅令第四十二号)第一条に基く詮衡の結果昭和二十二年五月五日当時の大臣河合良成より日本における医師免許をうけ免許第一二〇六九六号を以つて医籍に登録されたものである。ところが、被告は昭和二十八年一月六日原告が満州国において医師免許を受けた事実は認められないとの理由で原告の右免許を取消し、厚生省医務局長名義の同日付厚生省発医第二号通知書を以てその旨通知して来た。然し乍ら原告は真実前述の日に満州国において医師免許を受けていたものであつて、右取消処分は事実の認定を誤つた違法な処分である。よつて右取消処分の取消を求めるため本訴に及ぶと述べた。

二、被告の答弁と主張

被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張の事実中原告が国民医療法施行令特例第一条に基く詮衡の結果昭和二十二年五月五日厚生大臣河合良成より日本における医師免許を受け、免許第一二〇六九六号を以て医籍に登録されたものであること、被告が昭和二十八年一月六日原告主張の理由で原告の免許を取消し厚生省医務局長名義の同日付厚生省発医第二号通知書を以てその旨通知したことは認めるが、原告が昭和十四年満州国医師考試に合格しその主張の如き医師名簿番号を以て医師の免許を受けていたことは否認する。

(一)原告に対する本件医師免許は原告の申請により原告が満州国の医師免許(認許)を受けていたものとしてなされたものであるが、その後に至つて判明した事実から判断して原告は満州国の医師免許を受けていたものではないと認められる。

即ち

(イ)原告は昭和二十三年十月厚生省係官に対して、原告の及格した康徳六年(昭和十四年)(第三回)満州国医師考試について、第一部試験は康徳六年五月、第二部試験は同年七月、第三部試験は同年九月に受験したと陳述したが、康徳六年七月二十日付満州国政府公報第一五七八号に公告された康徳六年度第三回医師考試実施要綱によれば、第一部試験は康徳六年十月七日、八日第二部試験は同月十四日、十五日第三部試験は同月二十二日から二十六日迄であつて原告が受験したと称する日に考試が施行された事実はない。

(ロ)満州国医師考試令施行細則(康徳四年民生部令第一四号)第六条によれば、医師考試及格者並びに各部考試及格者の氏名は政府公報を以て公告することになつているところ、同公報の第三回医師考試及格者各部考試及格者発表中には勿論、第一、二回のそれにも原告の氏名は見当らない。さらに、第三回医師考試の第一部乃至第三部の各考試に及格するためには相当高等の医学的知識と経験とを必要とし、当時比較的医学的修業の少ない原告が第三回考試の各部考試に及格したことは考えられない。

(ハ)満州国医師法(康徳三年勅令第百六十七号)第五条によれば医師の認許は医師名簿に登録することによつてなし、同法施行規則(康徳四年民生部令第一号蒙政部令第一号)第二十五条によれば医師名簿に登録したときは本籍氏名事由その他必要と認める事項を政府公報に公告することになつているところ、康徳六年十一月以降医師名簿に登録されたものとして政府公報に公告された者の中には原告の氏名は見当らない。

(二)原告が所持していたと主張する医籍証明書はその記載の体裁内容よりみて正規の手続を経て発行されたものではない。

即ち、

1  その記載は医籍と医師名簿とを混同している。康徳十一年一月一日から施行された国民医療法(康徳十年勅令第三百四十七号)は従前の医師法の「医師名簿」を「医籍」と改めたが、本件証明書発行の康徳十年十二月三十一日当時はなお医師法が施行されていたから「医籍」の語句は使用されていなかつた。

2  原告は厚生省係官に対し康徳六年十一月五日医師免許証の下付をうけたが、後に誤記が発見され康徳十年十二月三十一日訂正のうえ再下付を受けたものであり当初の医師名簿登録番号は第五五五七号であつたと陳述した。然し乍ら政府公報によれば医師名簿登録第五五五七号は康徳六年十一月十三日英国人フローラスチュアート・マクータンの名義で登録されている。従つて第五五五七号の下に二重に登録されたことになり、原告の登録が誤りであつたとして訂正を受けたとすれば原告の登録は康徳六年十一月十三日又はそれ以後であるべき筈である。而して認許証の下付は登録の後でなければできないから、康徳六年十一月十三日又はそれ以後であるべきで、康徳六年十一月五日に下付することはできない筈である。さらに、康徳六年十一月五日は日曜日で満州国の政府機関は執務しないから、同日付で認許証を下付することはあり得ない。

3  「満州国医師免許証」と特に「満州国」を冠しているが、医師法施行規則第三条は「所管部大臣は医師の認許を為したるときは医師認許証を下付す」と規定しており、又満州国政府の発行した文書に特に満州国と書くことはない。

4  免許証を下付した旨記載されているが、満州国の医師法並びに国民医療法は「医師認許」なる語句を使用し「医師免許」なる語句を使用していないから、政府発行の証明書に法律用語でないいわば通俗語である免許なる語句を使用することは考えられない。

5  前述のように医師法第五条によれば医師の認許は医師名簿に登録することによつてこれをなすことになつている点からみて医籍証明書としては単なる証明行為にすぎない認許証下付を証するを以ては足らず、医師名簿に登録したことを証明しなければならないに拘らず、この証明書は単に医師免許証の下付及びその誤記発見訂正再下付を証明しているにすぎない。

以上のようなことからみて、満州国政府機関により正式の手続を経て発行された証明書であるとは考えられない。

従つて原告は満州国の医師考試に及格しておらず、医師免許を受けていないものと認めざるを得ないから被告が原告は満州国の医師免許を受けているものと誤認して旧国民医療法施行令特例第一条に基いて原告に対してなした医師免許処分は右法条に違反する違法の処分である。

(三)  ところで医師は直接貴重な人の生命身体をあずかり、これに対して医療を施すと共に保健指導を掌ることにより、国民の健康な生活を確保することを職分とするものであるから、免許制度を採用し、高度の専門的学術技能を有し、そのための考試に合格したものに限り厚生大臣は免許を与え、一方免許を有する医師以外の者に医療行為をなすことを禁止し、これらの者が医業を行うことによつて生ずる国民の生命身体に関する危険を防止している。従つて医師免許の資格を有しない者に誤つて免許が与えられたことが判明した場合、これを取消さずしてその者に医業の継続を許すことは、現在治療を受けつつある患者、及び今後医師と信じて診療を受けるであろう者の生命身体に、重大な危険を与える虞があるのであつて、公益上かかる危険を防止するために違法な医師免許処分を取消して医業を禁止する必要がある。従つて本件医師免許取消処分は適法な処分であつて、何等違法の点はないと述べた。

三、被告の主張に対する原告の答弁並びに主張

(一)の(イ)の事実中原告が厚生省係官に対して被告主張のとおり陳述したことは認めるが、原告は右のことを突然質問されて曖昧な記憶に基いて特にその旨を附加して陳述したものである。(ロ)に対し医師考試及格者氏名が満州国政府の公報に公告されることになつていたことは認め、原告の氏名が右公報に掲載されていなかつたことは不知、満州国政府公報が絶対誤謬がないということでない限り公報に記載がないということのみを以て原告の及格を否定することはできない。又原告は昭和八年四月以降昭和十四年前記医師考試及格迄医院の医療助手として勤務し、その間大日本電医学校本科を卒業する等一応十分に臨床基礎医学を研究したものである。(ハ)の事実は不知、(二)の1、に対し、医師名簿医籍なる語が被告主張のように使用されていることは不知、2に対し、厚生省係官に対して康徳六年十一月五日医師免許証の下付をうけたが後に誤記が発見され、康徳十年十二月三十一日訂正のうえ再下付を受けたこと、そして当初の医師名簿登録番号は第五五五七号であつたと陳述したことは認めるも、原告は右陳述に当つては右登録番号についてはつきりした記憶ではないことを附加しておいたのである。政府公報によれば医師名簿第五五五七号は康徳七年十一月十三日英国人フローラスチュアート・マクータンの名義で登録されていることは不知、満州国政府が日曜日は執務しなかつたことは否認する。3に対し、原告は本件証明書の下付を受けるに当つては内地における就職斡旋依頼状に添付(当然内地においては医師としての資格は認められないのであるが、自己の技倆を証明する目的を以て)するため満州国民政部係官に対し右事情を述べて満州国における医師たることを証明して貰うよう依頼したものである。従つて発行者において右事情を考慮して特に満州国の字を冠したものと考えられる。4に対し、満州国の医師法並びに国民医療法は医師認許なる語句を使用していたことは認めるも、内地においては「医師免許」が法律用語であつたので使用目的地が内地であることを考慮して発行者において特にかかる表現を用いたか或いは誤記したのであつたかと考えられる。5に対し、本件証明書により原告が康徳十年十二月三十一日医師名簿に第九九九七号としで登録されていることは明らかである。

(二)の主張に対し、原告は日本医師の資格取得以来現在迄の取扱患者中一人の事故も起したことはなく、原告は、独自の研究に邁進し、その研究は日本産婦人科学会において大いに注目されているのであつて、何等本件医師免許を取消す言必要はない。

四、証拠

原告訴訟代理人は甲第一号証の一乃至四、第二号証の一乃至三(第二号証は何れも写)を提出し、証人古川健介、同大西哲也の各証言、原告本人尋問(第一、第二回)の結果を援用し、乙号各証の成立を認めると述べた。

被告指定代理人とは乙第一号証、第二号証、第三号証の一乃至三、第四号証の一、二、第五号証、第六、第七号証の各一、二、第八号証、第九号証を提出し、証人川上六馬、同幅田将之の各証言を援用し、甲第一号証の一乃至四の成立、第二号証の一乃至三の原本の存在及びその成立を認め、甲第一号証の二の医籍証明書の写の部分はこれに相応する原本があつたとは認められず、その内容の正確さは争うと付陳した。

理由

一、原告が国民医療法施行令特例(昭和二十二年勅令第十九号による改正後の昭和二十一年勅令第四十二号)第一条に基く詮衡の結果昭和二十二年五月五日厚生大臣河合良成より日本における医師免許(昭和二十二年五月五日付免許第一二〇六九六号)を受け、医籍に登録されたが、昭和二十八年一月六日被告は原告が満州国において医師免許を受けた事実は認められないとの理由で原告の右免許を取消し、厚生省医務局長名義の同日付厚生省発医第二号通知書を以てその旨原告に通知したことは当事者間に争がない。

二、原告は、被告が昭和二十八年一月六日なした右免許取消の処分は事実の認定を誤つた違法な処分であると主張するので、果してその主張のような事実誤認があつたかどうかについて判断する。

元来右取消処分によつて取消された昭和二十二年五月五日付医師免許の処分は、原告が満州国において同国の医師の免許を受け、前示国民医療法施行令特例により日本の医師の免許を受け得る資格を有するとして昭和二十二年三月十七日付書面を以て被告に対し資格証明書、身分証明書、履歴書及び戸籍騰本を添付して医師免許証下付申請をし、被告は同特例第一条にもとずいて医師試験委員の詮衡の結果、同年五月五日付免許第一二〇六九六号を以て医師の免許をし医籍に登録したものであることは、成立に争のない甲第一号証の一乃至四及び弁論の全趣旨によつて明かである。そうして右試験委員の詮衡は専ら原告の右申請書添付の書面によつてしたのであり、その結果原告が満州国において同国の医師の免許を受けたと認定したのであつて、右認定の根拠となつた書面は原告の右申請書添付の書面のうち愛媛県宇和島保健所地方事務官古川健介の昭和二十二年三月十七日付認証のある医籍証明書(写)であつたことは前記甲第一号証の二及び弁論の全趣旨によつて認められる。

被告は、その後の調査の結果原告が満州国医師の免許を受けたことがないことが判明したので、右免許を取消したと主張しているので、果して被告主張のように原告が満州国の医師免許を受けたことがないものであるかどうかについて審究する。

(1)成立に争ない乙第六号証の一によれば、満州国において医師となるためには「官公立医学校又は文教部大臣若しくは蒙政部大臣の指定した私立医学校を卒業した者」「医師考試に及格した者」「外国医学校を卒業し又は外国において医師の認許を受け命令の規定に該当する者」のいずれかに該当する資格を有する者で、主管部大臣の認許を受けねばならないこと(満州国医師法第一条参照)を認めることができる。ところで本件においては原告は康徳六年「医師考試に及格した者」であると主張しているので、まず原告がこの「医師考試に及格した者」でないかどうかについて考える。

(イ)成立に争ない乙第二号証によれば、康徳六年度第三回医師考試(康徳六年度における第三回目の医師考試という意味でなく、満州国の行う第三回目の医師考試でそれが康徳六年度に行われたという意味であることは、乙第二号証、成立に争ない乙第三号証の一乃至三、第四号証の一、二によつて認められる。)はその第一部試験は康徳六年十月七日八日、第二部試験は康徳六年十月十四日、十五日、第三部試験は康徳六年十月二十三日より二十六日迄行われたことを認めることができるのであるが、原告は昭和二十三年十月厚生省係官に対して原告は康徳六年度の医師考試に合格したが、その第一部試験は康徳六年五月、第二部試験は同年七月、第三部試験は同年九月に受験したと述べたことは当事者間に争がないのであるから、原告が受験したと述べた日には医師考試は行われなかつたこと、従つて原告は康徳六年度第三回医師考試を受験しなかつたことを認めることができる。原告は突然質問されたため曖昧な記憶にもとずいて特にその旨を付加して陳述したと主張するが、原告は本人尋問(第一回)の際にも右医師考試は昭和十四年(康徳六年)六月頃一部、二部、三部と三回にわかれて受験したと供述しており、右は突然の質問とはいえないのであるから、原告の厚生省係官に供述した医師考試の日が実際の考試の日でないのが、突然の質問のためとは考えられず、原告の右本人尋問の結果によるも原告が真実の考試の日に受験しなかつたと認める外はない。

(ロ)成立に争ない乙第七号証の二によれば「医師考試及格者」の氏名は満州国政府公報を以て公告されることになつていたことを認めうるのであるが、成立に争ない乙第三号証の一乃至三によれば、満州国政府公報の康徳六年度の医師考試及格者の中に原告の氏名が掲載されていないこと、更に成立に争ない乙第四号証の一、二によれば、同国政府公報の康徳四年度第一回、同五年度第二回医師考試及格者の中にも原告の氏名は掲載されていないことをそれぞれ認めることができる。

右(イ)及び(ロ)において認定した事実によれば、原告は康徳六年度第三回医師考試に合格した者ではないと認める外はなく、右認定に反する原告本人尋問の結果(第一回)は措信し難く他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(2)前顕乙第六号証の一によれば、満州国において医師の認許は医師名簿に登録することによつてなされること(同国医師法第五条)、成立に争ない乙第六号証の二によれば、右により医師名簿に登録したときは本籍、氏名、事由、その他必要と認める事項を満州国政府公報に公告することになつていること(同国医師法施行規則第二十五条)をそれぞれ認めうるのであるから、もし原告がその主張のように満州国において同国の医師の認許を受けたとするならば、満州国の医師名簿に登録され、且つ同国政府公報に医師名簿登録者の氏名その他の事項が公告されなければならない筈である。ところが、成立に争ない乙第五号証によれば、原告が、最初に医師名簿に登録されたと主張する康徳六年十一月五日を含む康徳六年十月十日以降同年十一月十三日迄の間に医師名簿に登録された者として満州国政府公報に公告された者の中には原告の氏名は存在しないことを認めることができるから、原告が満州国においてその主張の項に同国の医師の認許を受けたことはこれを否定する外ないこととなる。

(3)もつとも被告が前記国民医療法施行令特例第一条に基いて原告に医師免許をする際甲第一号証の二の医籍証明書(写)が、原告を満州国の医師であつたと認定した唯一の証拠方法であつたことは前に説明したところであるから、右医籍証明書(写)が信用できる文書であるならば、満州国医師名簿に原告の氏名が登録されたかどうかを直接その医師名簿について調査することのできない現在、同国政府公報に原告の氏名が医師名簿登録者公告中に存しなかつたこと右認定のとおりであつても、公告もれということも考えられないこともないので、右医籍証明書(写)が被告主張のように信用できない交書であるかどうかについて考えてみる。

(イ)証人古川健介の証言及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、甲第一号証の二の医籍証明書(写)は原告がその所持していた原本によつて作つた写であつて、原告がこれを原本と一緒に愛媛県宇和島保健所に提出し、同保健所地方事務官古川健介は右医籍証明書(写)を原告が提出した原本に照合して昭和二十二年三月十七日右写に原本と照合済なる旨及び原本と相違ないことを証明する旨を記載しこれを原本と共に交付したものであることを認めることができる。但し原告が所持していた原本なるものは、原告が昭和二十二年三月中旬頃高知県幡多郡中村町の郵便局で所用中財布と共に盗難にかかつたことは原告本人の供述するところであつて、右供述の真偽はともかくとして弁論の全趣旨によれば右医籍証明書の原木は原告がその写に古川健介の証明を得た後旬日を出でずして姿をかくしてしまつたことには間違いない。それで本訴においても、専ら右甲第一号証の二の医籍証明書(写)によつてその原本が信頼できる真正の事実証明の文書であるかどうかを検討する外はないのである。

(ロ)まず甲第一号証の二によれば、右医籍証明書は満州国の民生部保険司長植村秀一名義を以て康徳十年十二月三十一日付で作成され、その表題において「医籍」という語句を使用していることが明かである。しかるに前記乙第六号証の一、成立に争ない乙第八号証、証人川上六馬同幅田将之の各証言によれば、満州国においては「医籍」という語句は康徳十一年一月一日国民医療法の施行後はじめて使用されるに到つた語句で、その以前の医師法施行中(康徳六年乃至十年)は「医師名簿」といい、国民医療法施行後は従前の医師法による医師名簿はこれを国民医療法による医籍とみなされることとなつたが、医籍とは改称されず従前の医師法による医師名簿登録番号はそのままとし、国民医療法施行後は従前からの通し番号を追うことなく新に医籍登録番号を起したこと、公文書には通俗語を使用することはなかつたことを認めることができる。しからば医籍証明書の原本がその写の記載どおり康徳十年十二月三十一日に作成されたとすれば、「医籍」という語句を使用したことがおかしく、医籍の語句が間違いないとすれば、その作成の康徳十年十二月三十一日の日付がおかしいことになる。

(ハ)また甲第一号証の二によれば、医籍証明書(写)に「康徳六年十一月五日満州国医師免許証下付、医師名簿第九九九七号(康徳十年十二月三十一日誤記発見訂正再下付)」という記載があることが明かであり、原告が厚生省係官に対し、康徳六年十一月五日医師免許証の下付を受けたが後に誤記発見され康徳十年十二月三十一日訂正のうえ再下付を受けたものであり、当初の医師名簿登録番号は第五五五七号であつたと陳述したことは当事者間に争がないところ、前顕乙第五号証によれば医師名簿登録第五五五七号は康徳六年十一月十三日付で英国人フローラスチユアート・マクータンが医師名簿に登録された番号であることが明かであるから、もし原告の右陳述が間違いないとすれば第五五五七号という番号で原告と右英国人との二人が登録されたこととなり、医師認許証の下付は登録の後でなければできないことは前顕乙第六号証の一、二によつて明らかであるから、原告の医師認許証下付の日付は康徳六年十一月十三日又はそれ以後であるべきことになつて、康徳六年十一月五日付で医師免許証が下付されたということはあり得ないこととなる。

(ニ)右医籍証明書(写)の記載によると、原告が医師免許証の下付を受けた日付が康徳六年十一月五日であることは前に認定したとおりであつて、同日が日曜日であつたことは明らかである(前記乙第二号証によれば同年十月二十六日が木曜日であつたことが明らかであるから同年十一月五日が日曜日になること暦の上で明かである)ところ証人川上六馬、同幅田将之の各証言によれば当時満州国においては特別のものを除き日曜日に公文書を発行することはなかつたことを認めることができる。

(ホ)甲第一号証の二の医籍証明書(写)に満州国医師免許証下付と記載されていることは前に認定したとおりであるところ、証人川上六馬、同幅田将之の各証言によれば、対内的な性質の文書である医師認許証に「満州国医師免許証」などと「満州国」の語句を冠することはなかつたことを認めることができ、また前顕乙第六号証の一、乙第八号証によれば、満州国においては医師法及び国民医療法とも「医師認許」なる語を用い、「医師免許」という語を用いていないことを認めることができ、政府発行の公文書にわざわざ法律用語を排して通俗語を使用することのなかつたことは証人川上六馬、同幅田将之の各証言によつて明らかである。原告は甲第一号証の二の医籍証明書(写)の原本は原告が日本において必要としたので満州国における医師たることを証明して貰うために右の必要の事情を述べて下付を求めたので、右事情を考慮して特に満州国の字の写を冠したものと思われると主張するが、右は単なる推測を述べたにとどまり、これを認めるに足りる証拠はない。

(ヘ)証人川上六馬、同幅田将之の各証言によれば、川上六馬は昭和十一年(康徳三年)に満州国官吏となり、防疫科長、医務科長(医務科長は昭和十四年から同十六年頃まで)、新京衞生所長を経て昭和二十年五月から終戦まで厚生部保健司長を勤めていたもので、もし医籍証明書を発行するとすれば、医師名簿の登録保管や認許証の交付事務を担当していた医務科が扱う外はないが、甲第一号証の二の医籍証明書(写)は医務科の担当係官でこれを発行した記憶のある者がないことを認めることができる。

(ト)更に甲第一号証の二の医籍証明書(写)の作成日付が康徳十年十二月三十一日であることは前に認定したところであるが、証人幅田将之の証言によれば、満州国においても日本におけると同様に年末の執務は十二月二十八日迄で特別なものを除いてそれ以後の日付で公交書を発行することはなかつたことを認めることができる。

右(イ)乃至(ト)に認定した事実に照して考えれば、甲第一号証の二の医籍証明害(写)の原本は満州国政府機関により正式の手続によつて発行された証明書であるとは認められないしその証明事項は信用のできるものではないこと明かである。そうすると、甲第一号証の二の医籍証明書(写)があるからといつて、他の証拠を以て原告が満州国において同国の医師の認許を受けたことのないことを認定する妨とはならない。

以上(1) 乃至(3) において認定したところを要約すれば、原告は満州国の医師考試に及格しておらず同国の医師の認許を受けていないものと認めざるを得ない。以上の認定に及する原告本人尋問の結果(第一回)は右認定の基礎となつた各証拠に照して当裁判所措信できず、その他に右認定をくつがえして原告が満州国において医師免許を受けていたものと認め得べき証拠はない。しからば、被告が原告の医師免許を取消した本件処分は事実の認定を誤つた違法な処分であるとの原告の主張は失当である。

三、ところで、被告は自らした行政処分を本件処分によつて取消したのであるから、その適否について判断する。

およそ、国民に権利又は利益を与える内容を有する行政処分は、右処分に瑕疵がある外、公益上の必要がある場合においてのみ処分庁自らこれを取消すことができるものというべきところ、医師免許の処分は右にいう国民に権利又は利益を与える内容を有する行政処分に当るのであるから、これを処分庁自ら取消すには単に右処分に瑕疵があるというのでは足りず、公益上の必要があることを要するのである。そこで医師免許の取消にかような公益上の必要性があるかどうかについて考えてみるに、医師は貴重な人命をあずかり、直接患者に対して医療を施し、また保健指導を通じて公衆衛生の向上増進に寄与し、以て国民の健康な生活を確保することを職分とするものであるから、国家は医師の右職分に鑑み、医師の免許を与えるに当つてはその者に一定の資格があることを必要条件としてその資格の有無を審査した上、はじめてこれに医師の免許を与えるのであつて、たまたまその審査が不十分であつたため右の資格を欠く者にこの資格があると誤認して医師の免許を与えたような場合にはこれを取消すにつき公益上の必要があることはいうをまたないところである。そうすると、このような場合には処分庁自ら右の医師の免許処分を取消すことができると解するのが相当である。これを本件についてみるに被告が原告に対して為した医師免許の処分は原告が満州国医師の認許を得ていたと誤認した瑕疵によるものであつたことは前に認定したところであり、被告が右免許処分を取消したのはもとより公益上の必要に出たことは右の説示するところにより極めて明かである。

しからば被告が原告が満州国において医師免許を受けた事実は認められないとの理由で原告の免許を取消した本件処分は極めて相当であつて何等違法の点はないのであるから、原告が満州国において医師免許を受けていたものとして右医師免許取消処分の取消を求める本訴請求は理由がない。

よつて原告の請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 飯山悦治 桑原正憲 鈴木重信)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例